“身を押すと弾力があり、身がピンとそり返ったもの、目が澄み、えらが鮮紅色で、腹に薄く金色の線が走っていれば、鮮度は最高です。
また胴が丸くて腹がしっかりしたものがよく、背の厚みに対して腹側が薄っぺらなものはおおむね脂ののりが悪いです。
サバには”マサバ”と”ゴマサバ”とありますが、これから秋から冬にかけてのおいしいのは、”マサバ”です。
上が”マサバ”で下が”ゴマサバ”です。
違いがわかりますか?
マサバは、切り口が楕円形になっているので「ヒラサバ」と呼んだり、ゴマサバは切り口が
丸いので「マルサバ」と呼んだりします。上のマサバの方が、少し平たいですね。”
サバの生き腐れ
サバは、”アシ”の早い魚です。
つまり腐るのが早いということです。
なぜかと申しますとサバは、水からとりだすとすぐに死んでしまいます。
そしてすぐに死後硬直に入ります。
つまり体がピーんと硬くなるのです。
するとたちまち強力な消化酵素が働いて、身が軟らかくなってくるのですが、
(このことを自家消化といいます。)サバは、自家消化に移る時間がどの魚よりも早いのです。
つまり自家消化した肉類には、腐敗バクテリアがつきやすいのでサバは急速に腐ってしまうというわけです。
「本朝食鑑」にも、「凡そ生を用いるのはよくなく、多食すれば酔う。
塩漬けにして食べると酔わない。」とありますが、サバは昔から塩漬けにするか、
酢でしめてから食用にしていたようだ。”
サバを読むってこの鯖?
ものを数える時に数をごまかすことを「サバを読む」といいますが、この語源には諸説あるそうです。
一般的なのは、サバを魚市場で売りさばく際に数をごまかしたから、という説。
昔は重量ではなく数で魚を売っていました。
魚市場の売り人は独特の節回しで、非常に早口で数を数えていきます。
大型魚だと売り買いの数も少なく、ごまかしようがありません。
ところが小サバなどの小型魚の場合には大量に売買するので売り人が途中で
数を飛ばしても、買う側は分からなくなってしまうのです。
また”刺しサバ”(サバを塩漬けにした物)が、二枚重ねにしたものを一枚と数えたからだとも言われています。
一方で魚のサバではないという説もあるようです。
すし屋では客が食べた鮨の数をごまかされないよう、板前は握るたびに飯粒を一つずつ置いていました。
その飯粒を”生飯(さば)”といったからと言う説もあります。
また仏教で仏様に捧げるために取り分けておいた飯を”散飯(さば)”といいますが、この量が少ないからだとも言う説もあります。”
東北,九州など。
サバの旬は、”秋”。
産卵期は、4~6月。
春から夏にかけて産卵を終えたマサバが、餌を食べ秋にはちょうど脂がのるためです。
ゴマサバの旬は、”夏”。
マサバより味が落ちるといわれるが、味の季節変化が少ないため、
マサバの脂が落ちる夏に珍重されます。
サバの青い背には意味がある?
「青い背の魚」とか言いますが、この青い背はじつは保護色になっています。
青いというより黒緑色をしていますが、これを海の上から見ると海と同じ色に見えたり、さざ波に紛れてしまうのです。
これで空から獲物を狙ってくる海鳥の目をくらませることが出来るのです。
また反対に銀色をした腹側の部分は、海面のキラキラと光る光に乱反射に
紛れることが出来ます。
そのためマグロやカジキなどの大型魚から身を守ることに役立っています。
これは、”サワラ”等にも同じことが言えます。
ゴマサバのゴマといわれる斑点です。
よく見ないと分かりませんね。
岡山弁の”きょうて~”は、サバと関係がある?
京都では、「サバずし」が好まれるが、このサバも若狭から運ばれてきていたもの
でした。
室町時代から京都では、魚市が立ち、若狭のサバは目玉商品でした。
しかし、夜に京都に届いたのでは商売になりません。
(その当時は、朝立てばその日の夜、夕方出発すれば朝に京都に着いていました。)
そこで小浜の行商人たちは、夜道を走りました。
夜の山中はオオカミなどが出て、襲われるかも知れないとても恐ろしいものでした。
つまり、サバの道は遠くて恐ろしい道でした。
そのため、若狭地方の方言では、恐ろしいことを”キョトイ”とか”キョウトイ”とかいい、「京遠い」からきたようです。
山陰地方の方言でも「夜はキョウトウテあるけん。」といったように恐ろしいことに使われるところから、このあたりから来たのではないでしょうか?
”キョトイ”という形容詞は、いとわしい、恐ろしい、むごたらしい、
はなはだしい、ひどい、大変といった意味であり、”キョウトイ”がなまって”キョウテ~”になったのではないでしょうか?